ニュースの話題を理解する為に(柳田のブログ)No.3
第四次中東戦争以降の情勢について、
○ 1970年9月ヨルダン=ハシミテ王国のフセイン国王(マホメッドの子孫です、奥さんは4人いたがイギリス人の軍人の娘さんアントワネット・アヴリル・ガーディナー<ムナー・アル=フセイン>が一人いて、リビアのカダフィ大佐は文句を言っていた、その息子アブドゥッラー2世現国王<当時、王子>の奥さんはご存じラーニア王妃です世界のプリンセスで今一番きれいな女性の一人です、ユニセフ親善大使でもあります)はPLOを王制にとって危険としベドウィンの特殊部隊を使いPLOの排除を決め、ヨルダン内戦になった。その結果ヨルダンの難民キャンプからレバノンへPLOは拠点を移す。
○ 1972年9月にはPLOは西ドイツのミューニック(ミュンヘン)で開催されたミュンヘン・オリンピック参加のイスラエル選手団にテロをします。この時に西ドイツの警察のスナイパーが狙撃中にトリガーを引けなかったのだそうです?つまり、警察だから犯人逮捕の訓練を受けていたが射殺の訓練を受けていなかった!
その為、ゲンシャー西ドイツ外相はWWⅡ以降初めて対テロ特殊部隊GSG-9を作る事にします、今度は警察でなく国境警備隊の中に作ったのです!この辺の事は映画「黒い九月」それから、そのモサドの報復を扱ったスピルバーグ監督の映画に「ミュンヘン」があります!興味があったら観てみてください。
○1973年の第四次中東戦争の結果、1974年アラブ首脳会議はPLOをパレスチナ唯一の代表として認められる。又、ヨルダンがウエストバンクの統治権を放棄したためPLOはそこに模擬国家を造ろうとした。
○レバノンではキリスト教マロン派などが反発し1975年4月にレバノン内戦になる。レバノン杉が失われていき大変な事になりましたが、日本ではレバノンと言えばカルロス・ゴーン元会長というブラジル生まれのレバノン人でブラジルとレバノンの二重国籍を持ち、フランスの国立理工科大学を卒業してパリ国立高等鉱業大学で工学博士号をとりミシュランからルノーに入りルノーから日産の会長になったフェニキア人の人が思い出されます。この人が就任の時にレバノンの回復を日本政府に訴えていました???そしたら、まず日産の回復をお願いしますと言われましたが???その後の事件は割愛させてもらいます。
○キャンプ・デービット合意
1977年にエジプトのサダトはイスラエルに電撃訪問し、クネセットで演説した。1978年にベギン・イスラエル首相とサダト・エジプト大統領がカーター・アメリカ大統領の仲介によって、大統領の別荘のキャンプ・デービットで12日かけて会談した。
☆エジプトはイスラエルを承認し国交を開くこと。
☆イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還し、ウエストバンクとガザでパレスチナ・アラブ人の自治について交渉することで合意した。
1979年3月26日にイスラエルとエジプトの間で平和条約が締結されたのである。この結果、エジプトはアラブ世界で孤立した。サダトはイスラム復興主義の過激派によって「、1981年10月6日に暗殺された。
○レバノン
アラファトに日着られたPLOはレバノンからイスラエルを攻撃したため、1982年6月イスラエルは、PLOに反撃するためにレバノンに侵攻した。PLOは追い詰められて本拠地をチュニジアに移したが、影響力を失ってしまい、イスラエルとの和平を模索せざるをえなくなった。
○ガザ
1987年12月からはガザではインティファーダが始まる。1990年8月2日サダム・フセインがクウェートに侵攻し、湾岸戦争が起こるがアラブは結束できなかった。PLOはイラクを支持したので、アラブ世界での孤立が深まった。
○中東和平の始り
1991年10月にスペイン・マドリッドの王宮の鏡の間で第1回の中東会議が始まりました。イスラエル側はシャミール首相とレビ外務大臣とネタニヤフ外務事務次官(現首相です)、アラブ側はサダムとカダフィとPLOなどが呼ばれずに始まりました。丁度、湾岸戦争が終わりソビエトが崩壊する前であり、バルセロナオリンピックが開催される1年前です。このお礼として、スペインのバルセロナオリンピックでバスクのテロが起きるかもしれなかったのですがアメリカ軍が投入されたのでETAのテロが起こりませんでした。
○オスロ合意
1993年9月13日、ノルウェーのヨハン・イエルゲン・ホルスト国防大臣の仲介でオスロ合意が成立し、イスラエルのイツハク・ラビン首相(この方軍人なのでネクタイを締めるのが苦手だったそうです)PLOのヤセル・アラファト議長(奥さんはイタリア人でした、お金をコントロールすることで権力を握りました)は「パレスチナ暫定自治協定」を調印した。
☆両者は相互に承認し合い
☆PLOはイスラエルの生存権を認め、又テロを放棄するというもの
しかし、1994年1月23日に仲介したホルスト外相が脳梗塞で死亡して(殺されたという人もいる!)、1995年11月4日にラビン首相はイガール・アミル(ユダヤ教徒の急進派)にピストルで暗殺された<ラビンさんは防弾チョッキを着ていなかった>。2001年3月にアリエル・シャロンが首相になり、9月11日にNYで同時多発テロが起こると、アメリカはアフガニスタンに軍事侵攻を開始した。すると、どさくさに紛れてシャロン首相はパレスチナ自治区に侵攻して、アラファト議長を軟禁した。アラファトは2004年11月に死去(暗殺説も根強い)し、アッバスが後継者になった。
この間、リクード党内で右派のネタニヤフが台頭するが、シャロンは対抗上、路線を転換した。
具体的には、
☆パレスチナ人国家を認めること
☆ガザからIDF(ツハール)を完全撤退させること
を2005年8月に実行に移した。
しかし、イスラエルはウエストバンクで入植を進め、入植地に高さ8メートルのコンクリート製の壁を建設してパレスチナ・アラブ人の排除を続けた。
やがて、ハマスが勢いを増し、、2006年1月にパレスチナで第1党になる。PLOとハマスは対立!ウエストバンクはファタハ、ガザはハマスが統治するということになった。
シャロンが2006年1月病魔で倒れたため、右派の力が高まり、7月にはIDFがレバノン南部のシーア派武装組織ヒズボラを攻撃する為にレバノンに侵攻した。12月にはガザを空爆した。その際、白麟爆弾を使い国際的に非難を浴びました。その結果、オスロ合意は破綻した。2021年5月10日にはハマスとイスラエルがガザで争う。そして、2023年10月7日、ハマスがイスラエルのアシュケロンを奇襲攻撃した。
<予告>次回はイラン革命以降を扱います。大雑把に見ていきます。
<コマーシャル>
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