ニュースの話題を理解するために(柳田のブログ)No.1
2023年10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルに攻撃を加えて、
1200人の兵士や市民を殺害したり、200人余りを人質として拉致しました。そもそも、ユダヤ―アラブの対立はどこから始まるのか?
それらを何回かに渡って纏めます。
☆反ユダヤ主義の誕生(そもそも、ユダヤ人とは???)
旧約聖書、BC1500年頃ヘブライ人の家長アブラハムが、カナーン(今のパレスチナ)に移住し1600年住んだ。BC1300年頃エジプトから追い出された(出エジプト)。カナーンに戻り、ダビデ、ソロモンの時に繫栄する。その後、アッシリア、新バビロニアに征服されて新バビロニアのネブカドネザル王によって、バビロンに強制移住された(BC586年、バビロン捕囚)。その後、新バビロニアがアケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって滅ぼされて、BC538年にヘブライ人(この頃からヘブライ人はユダヤ人と呼ばれ始める)は捕囚を解かれ、カナーンに戻った。
中東はその頃、ペルシャ帝国が支配したが、カナーンはローマの属州であった。BC66年マサダ砦でユダヤ人はローマに鎮圧され、殺害されたり、奴隷にされたりした。カナーンも古代パレスチナの民族・ペリシテ人の名前から「パレスチナ」と改名された。マサダ砦の戦いの後ユダヤ人は離散した。
今でもユダヤ人同士の結婚式では新郎がガラスを踏みしめてマサダ砦の事を忘れるなといい結婚するのだそうです!
○反ユダヤ主義(Antisemitism=アンチセミティズム)
キリスト教徒はユダヤ教徒を軽蔑してきた。就くことができる職業も限定された。極論すれば人間として扱われなかった。ユダヤ人は金融、ジャーナリスト、映画産業、医者、学者が今でも多いのである(職業カースト)。
その為、ユダヤ人は宗教的にも、人種的にも強固なアイデンティティを確立していった。その結果、ロシアではポグロム(破滅、破壊を意味する)が吹き荒れた。
○ドレフュス事件
1894年10月フランス軍のアルフレッド・ドレフュス大尉がドイツのスパイだという嫌疑をかけられ、パリ軍事法廷で有罪になり、翌年4月に南アメリカの仏領ギアナの悪魔島に流刑になった。
1898年1月13日「オロール」紙に、フェリックス・フォール大統領宛に「私は弾劾する」という記事を書いて、この判決を批判した。一般的に軍部とカソリック教会は反ユダヤ主義になりやすい。
この”ドレフュス事件”をパリで体験したのが、ハンガリー出身のユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツル(1860~1904)である。
ユダヤ人がヨーロッパで差別されるのを解決する為には、「ユダヤ人が自らの国を建設する以外に問題は解決しない!」
→シオニズムの誕生(シオンとはエルサレム南東にある丘の名前)
→1897年にスイスのバーゼルで第1回シオニスト会議を開きました。
こうして、イスラエルという国を作ろうということになってきたのです。
パレスチナに住んでる人たちは土地を売ったり戦争で取られたりして、苦難の歴史(争いが始まるのです!)
シオニストとは今ではイスラエルを支持する人々のことを指すようになりました。彼らに対いてアラブ人は「アラブボイコットリスト」を作成して経済的に圧力をかけていきます。代表的な企業はアメリカのフォード自動車、
清涼飲料水のコカ・コーラ、日本ではスバル自動車などが代表的なシオニスト系企業です。
このシオニズム運動に拍車をかけることがやがて起こります。
ドイツでナチスドイツが政権をとり、「ユダヤ問題」、アドルフヒトラーがヨーロッパ中でユダヤ人狩りをしたのです。ユダヤ人を武器や兵器を作る奴隷として使い、働けない者は容赦なくガス室などで殺していったのです。
そして、一人の少女アンネ・フランクの日記が戦後公開されたことで、世界中がユダヤ人に同情的になっていくのです。私の祖父もオランダ、アムステルダムのアンネの隠れ家に行き涙を流したらしいので、、、今ではニューヨークにも同じ家が作られているそうです。今、ガザでアラブ人が殺されてもヨーローッパ、なかんづくドイツはイスラエル支援せざるを得ないのはこうした理由もあるのです。
☆今回はユダヤ人とシオニズム運動について是非知ってほしい事だけ纏めました。
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