ニュースの話題を理解するために(柳田のブログ)No.2

2025.02.24
ポレポレの商品

中東とアラブ―イスラエルの関係を俯瞰する為のお話を続けます。

○アラビアのロレンスとフセイン=マクマホン書簡

第一次世界大戦の時、英国はドイツ(プロイセン)の同盟国オスマントルコを後方から攪乱する為に、アラブ人の力を借ります。見返りに、戦後にアラブの独立を認めるとしたのである。この協定は、イギリスの中東担当弁務官マクマホンとメッカのシャリーフ(太守)であるハシーム家のフセイン(ムハンマドの子孫)の間で、1915年7月~1916年3月の間に交わされた書簡の内容で、「フセイン=マクマホン書簡」と呼ばれている。この約束に基づいて、アラブの反乱を指導したのが、映画で有名になる「アラビアのロレンス」こと、トーマス・エドワード・ロレンスです。興味がある方はロレンスが書いた「知恵の七柱」とか「砂漠の反乱」を読んでみるといいでしょう。私は「砂漠の反乱」を読んでみました。

フセインは1916年にヒジャーズ王国を建国し、1918年にはフセインの子供であるファイサルがダマスカスを占領し、シリアの独立を宣言します。

 

○サイクス=ピコ協定

1916年5月16日、三国協商を結んでいたイギリス・フランス・ロシアの三国は、戦後にオスマン帝国を分割して管理するという秘密協定を結びました。

☆イギリスがイラクとシリア南部

☆フランスがシリア北部(レパント)とキリキア(小アジア東南部)

☆ロシアはコーカサスに接する小アジア北部

を支配する。

ただし、1917年にロシアでボルシェヴィキ革命によって離脱します。

☆サイクスはマーク・サイクスというイギリスの政治家

☆ピコはフランソワ・ジョルジュ=ピコというフランスの外交官

 

○バルフォア宣言

1917年11月、イギリスはロイド・ジョージ内閣のアーサー・ジェームズ・バルフォア外相が、ウォルター・ロスチャイルド卿(男爵)の書簡を送って記したもので、戦費の支援を期待したのである。パレスチナの地にユダヤ人のナショナルホームをつくってもいいとする、約束の事。

 

✖この3つの約束はそれぞれ矛盾するのです!イギリスの三枚舌外交が今の中東情勢を複雑にしているのです。

 

○イスラエル建国

1948年5月14日に、将来のことを考えてウラン鉱石の採れるところを押さえた上でデーヴィッド・ベングリオン首相がイスラエル共和国を建国宣言します。

 

○第一次中東戦争

1948年5月15日サウジアラビア、イラク、シリアなどがイスラエルに攻め込んできたが、WWⅡで戦い方を知っていたイスラエルはかろうじて勝利した。しかし、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を手に入れることは出来なかった。

○第二次中東戦争

1952年にエジプトのナセルはナイル川の氾濫に対処するために、イギリスの援助のもとアスワン・ハイ・ダムの建設を計画した。中止になったあと、米国の支援を取り付けた。しかしナセルはソビエトとも接近したため、1956年7月19日にアメリカは支援を中止した。そこで、ナセルは財源を確保するため、同年同月にイギリスが保有するスエズ運河の国有化を宣言した。

イギリスはこれに反発して、スエズ運河の管理権維持の為にナセル政権の打倒を図ったり、アメリカに協力を求めた。しかしアメリカは拒否したため、イギリスはアルジェリア戦争で独立勢力を支援するナセルを排除したいフランスと反アラブのイスラエルを仲間に引き入れた。

1956年10月29日イスラエルのシナイ半島侵攻によって始まりました。

エジプトはスエズ運河に廃船を沈めてスエズ運河を通行不能にするなどの抵抗を試み、又サウジアラビアも英仏と断交した。こうして11月7日に英・仏・イスラエルは停戦を受け入れた。この結果、エジプトはスエズ運河の国有化に成功した。ナセルはアラブの世界で英雄になった。又、イギリスは経済的に困窮し、国際的威信も低下した。

ナセルは1958年2月にシリアと合同してアラブ連合共和国を樹立する、しかし、この連合は1961年9月のシリアの軍事クーデターによって解消された。

1964年5月にはパレスチナ解放を目指すPLO(パレスチナ解放機構)がアラブ人によって組織された。

 

○1967年6月5日、ヨルダン川の水利権を巡ってシリアと紛争状態になったイスラエルはアラブ諸国を攻撃した。イスラエルの先制攻撃は功を奏し、エジプト、シリア、ヨルダンを撃破し、ヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。また、東エルサレム(旧市街)の支配権も確立し、全エルサレムを支配した。

6月8日にヨルダンとエジプトが、6月10日にシリアが停戦した。6/5~6/10なので6日戦争と呼ばれる。UNの国連安保理決議242のより停戦。

アラブ連盟はイスラエルと「和平せず、交渉せず、承認せず」ということを

1967年9月の首脳会議で決議した。

2023年10月7日にハマスがイスラエルに奇襲攻撃したのは、UAE、バーレーン、スーダン、モロッコなどが2020年の国交を正常化し、サウジアラビアまでが続こうとしたからである。因みにエジプトは1979年3月、ヨルダンは1994年10月にイスラエルと平和条約を結んでいる。

ナセルは1970年9月28日に急死した。後任はサダトが就任した。

この戦争でスエズ運河も1975年まで閉鎖された。

 

○第4次中東戦争

1973年10月6・7日エジプトがシナイ半島に、シリアがゴラン高原に奇襲攻撃を仕掛けた。アラブの軍事力を過少評価し、イスラエルは油断していた。10月6・7日はユダヤ教の祝祭日、ヨム・キプールの日であったので、「ヨム・キプール戦争」とも呼ぶ。奇しくも50年後に、ハマスが攻撃を仕掛けてきた。この時、イスラエルのゴルダ=メイヤ首相(女性の方です)は核兵器を使おうと、ネゲブ砂漠の中にあるディモナの核兵器貯蔵所から原爆を運び出すのをアメリカのSR-71偵察機が確認したので、アメリカはソビエトにホットラインでエジプトに核兵器を使えるように指示したらしいです?

しかし、イスラエルが持ち前の優秀さでアラブを撃退したので核兵器が使われることがなかったのです。

エジプトのサダトは、イスラエルにシナイ半島の返還を要求した。また、アラブ産油国は石油を政治的武器として活用してきた。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が原油価格を引き上げてきた(アラブボイコット)

 

ざっと、アラブ―イスラエルの4次にわたる戦争を纏めてみました。

 

 

<予告>

2025年3月15日 午前10時~午後15時まで

広島市西区商工センターにある、アルパーク西館2Fの「無印良品」のコーナーにて、ポレポレファクトリーはフリーマーケットを開催することが決まりました。前回に続き3月もポレポレオリジナルな商品を販売します。

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